NO.6

NO.6

あさのあつこ著。
2013年の未来都市《NO.6》。人類の理想を実現した街で、2歳の時から最高ランクのエリートとして育てられた紫苑(しおん)は、12歳の誕生日の夜、「ネズミ」と名乗る少年に出会ってから運命が急転回。どうしてあの夜、ぼくは窓を開けてしまったんだろう? 飢えることも、嘆くことも、戦いも知らずに済んだのに……。


映画化が記憶に新しい『バッテリー』の著者、あさのあつこの作品。


読後感は極めて爽快。
設定としては近未来の、決して楽しいとは思えない暗い時代が舞台なのに
バッテリー同様、その暗さを読後に感じさせることはない。
そう。主人公の一挙手一動足に、不意に訪れる不運に、ドキドキ・ハラハラさせながらも読んでいる僕らは小さい希望を持ちながら読み続ける。
そして結論まで読み終わってなくても、希望が何なのかがまだ分からなくても読後感は爽快だ。


なぜここまで気持ちよく読めてしまうのか。

それは、あさのあつこが「憧れの少年時代」を描いているから。
あさのあつこの小説は、少年達の心こそが主体であって人物設定や時代背景は付随だ。
少年達は「友情」という財産を手に入れ、しかし手に入れたはずの「友情」の壁を経験し、葛藤しながらも乗り越えていく。
その葛藤の中で自分を曝け出し、友に素直すぎるほど真っ直ぐにぶつけ、友も正面から返してくる。
誰もが少年時代にこうありたかったし、少年達にこうあって欲しいという像を描いているのが、NO.6に限らず、あさのあつこの小説ではないだろうか。


そして大人の読者達は、自分もこうありたかったと思う「少年」であり、自分と同じような苦しみを今まさに経験している「少年」でもある主人公達に共鳴する。


そして、その「少年達」は最後はきっと希望を掴んでくれるし、そう願ってもいる。
それが僕ら読者だ。なんたって自分の少年時代の分身なのだから。


あとがきで、著者が

この物語を書き続けることは、やはり、自分の内に巣食う偽善との対峙を迫られることで、それが時々・・・しょっちゅう辛くなります。飢えることも凍えることも知らぬ身が西ブロックに生きる人々の何を分かったうえで、書くのかと。まったくもって傲岸不遜、無責任な・・

と心境を吐露している。


しかし、それもまた当然であり、しょうがない。
なんたって、飢えることも凍えることも知っている人間が、暗い設定や過酷な運命が降りかかる主人公、といったボディーブローを読者に喰らわせつつ、物語の核となる少年と少年の心の交流を通して「憧れの少年時代像」を読者に感じさせることなんて出来ないだろう。

この憧れの少年時代像を感じているからこそ、読者は主人公である紫苑を応援するし、もう一人の少年ネズミも親しみをこめた目で見守っていける。


この、あさのあつこが描く、僕らがこうありたかったのに出来なかった少年時代。懐かしい少年の心。

NO.6』は僕らが忘れていたものや、本当は持っていたかったはずの何かを
蘇らせてくれる一冊なのだ。