右翼と左翼

今の時代、右翼と左翼の違いをハッキリ説明出来る人間は少ないと思う。
それは別に最近の若者が勉強不足云々ではなく、冷戦期のような
共産・社会主義が左、資本・自由主義が右といった相反する価値観で二分されている単純な世界ではなくなっていて、対象・環境・時期によって「右」か「左」かが変わってくるので、一概に「こういうのが左翼、こういうのは右翼」という風には説明できないからだ。


右翼と左翼という本はそんな価値観が複雑化した世界の中でも、読者にある程度の判断基準を示そうと試みた本。


ただ、その試みは素晴らしいのだけど、
正直これを読んだだけだと、朝日新聞の社説を読み続けて自分の価値観を
構築してしまった政治少年と同様の、偏った認識を持つようになるのではないだろうか。


タイトルの通り、著者が右翼・左翼というものをあらゆる時代やケースに即して説明していく中身になっているのだけど、その説明の細かいところに著者の価値観が繰り返し強く反映されている。

上手いな、というか、ずるいなと思うのが本当に細かい部分に適度に反映されていて
且つ、極端な表現だけど間違いとは言い切れない表現が多用され、更には第三者の意見を著者がゆるく正すといったレトリックで構成されている章が多い。
「ゆるく」というのがポイントで、押し付けがましくなく、まるで教室で授業をしている先生ではなく、隣に座っている自分より少し成績の良い同級生が優しく教えてくれているような感覚に陥る。
つまりは右翼と左翼の意味について前提知識が多く皮膚感覚で分かっている人なら、「あれ?間違いって訳じゃないけど、何かおかしくない・・?」と違和感を持つことが出来るのだけど、そういう前提ナシに読み進めていくと、著者が主張する主観的価値観が素直にそのまま読み手の価値観として形成されてしまうだろうと思う。


本を読んでいくと、あらゆるところで著者が「左」に分類される価値観を「右」に分類される価値観より、好意的な印象を持たせようとしているのが分かる。意図的か偶然かは不明だけども。


例えば
人権・自由・平等主義・平和が象徴の「左」
権威・秩序・階層主義・軍国が象徴の「右」
といった表現を使用している。(本書のP43)


上述したように、この例などは
完全な間違いとは「言い切れない」ことに著者の妙がある。
そりゃ、左に分類される活動家の人達はしょっちゅう人権・自由・平等・平和など諸々を訴えているし、右翼と呼ばれて街宣車で街を走り回っている人達は軍国主義的なスピーチしているし、冷戦期に「右」の代名詞だった資本主義世界のお偉いさんである社長とかは権威だし、組織運営のためにも秩序や階層というものを使っているから、上記の例は間違っていない。


じゃあ、正しいかと言うと正しくはない。
上記のように対照的に書かれると、まるで対極にあるようだけど(実際に個々の表現例は対極だし)
「右」と呼ばれる人達が平和を望んでないわけではないし、むしろ右と呼ばれる政治勢力(日本だと自民党とか民主党とかね)が自由や人権をないがしろにした政治理念を持っているなんて聞いたことがない。


さらに、平等主義は「左」の看板かのように表現しているが
左の平等主義は「結果の平等」
右の平等主義は「機会の平等」
を掲げており、どちらも平等主義なのだ。


また、左の代表的な国家である中国などは共産党という権威が
独裁している国なわけで、左だから権威よりも人権というわけではない。
要するに「左」か「右」かなんて、判断する対象とその対象を取り巻く環境、そして判断する人物によって
右か左かなんてコロコロ変わってしまうものだ。
その前提を無視してごっちゃにして説明しているから、ところどころ「それ、おかしくね?」と首を傾げる部分が多い。
そのうえ著者が妙に「左」に良い印象を与える単語、「右」には過激な印象の単語を多用するから、なおさら首を傾げてしまう。


結局、右翼と左翼の違いは自分で皮膚感覚を養うしかなく
そのためには、色々な会社の新聞を読み(読売と朝日の違いも知る必要があるし)、こういった本も読んでって自分也の価値観を少しずつ醸成していくしかないのかもしれない。


そういった意味で、この本を読むのもアリかもしれない。
でも、この本で右翼と左翼がすっきり理解が出来ると思うのは早計かと思います。